人にはそれぞれ「家の記憶」があると思います。
今も住む家。記憶の中の家。理想の家。
住まいの設計をする時、自分の「家の記憶」を思い出します。
私の実家は2つあり、1つは40年近い年月を経た家。
今は亡き祖父母が集めた調度品と共に、静かに時を刻んでいます。
かつて祖父母が住んでいたこの家は私にとっての「理想の家」で、
幼い頃から遊びに行ってはアレコレ観察していました。
共有部は(恐らく)突板、個室はクロス。
不思議と劣化が少なく感じるのは、
建ててくださった職人さんの腕の良さも影響していると思います。
それでも40年近く過ごした家、よく見ると傷が沢山あります。
『傷は自然の彫刻である』
小説家、開高健のエッセイで出会った言葉です。
素材の変化を「劣化」と捉えるか「経年変化」と捉えるか。
お盆休みの帰省時に、「建築は時間を表すもの」だと改めて思いましたが、
積み重ねた時間の表れが記憶とリンクした時に、「愛着」として受け入れることができる。
そんな気がしました。
日々の暮らしの何気ない風景が心の中に蓄積されて、「家の記憶」としてふとした瞬間に現れます。
そんな「家の記憶」の一部が、原風景として心の拠り所となっているようです。
竣工時の美しさだけではなく、次の世代にも愛され続ける家。
そんな暮らしの器を作るお手伝いができればと思います。
Kumazawa